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<title>ブログ</title>
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<title>今週の一言　第三十五回　　テーマは行動経済学について引用して考える</title>
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今回は、最近、話題の行動経済学について、引用して考えたい。結構面白い学問である。『行動経済学は7日間でわかります。』相良奈美香著西野みや子漫画より引用。「経済学＋心理学＝行動経済学伝統的な経済学では、「人間は常に合理的な行動をする」ことを前提にしており、現実的な人間の「非合理的な行動」を説明するには限界があった。伝統的な経済学に考慮されていなかったのは、現実的な人間の「心の動き」。そこで、「経済学」と「心理学」が融合することで「行動経済学」が誕生した。それによって、伝統的な経済学では説明しきれなかった人間の「非合理的な行動」が理解できるようになり、経済活動における「人間の行動」全般を解明することができるようになった。」これが行動経済学の定義だ。これはなかなか面白いので、次回今週の一言へと続く。
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<link>https://kawajikyoushitu.com/blog/detail/20260216231014/</link>
<pubDate>Mon, 16 Feb 2026 23:46:00 +0900</pubDate>
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<title>今週の一言　第三十四回　作家　五木寛之を引用してとりあげる</title>
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『よりそう言葉』五木寛之著（毎日新聞出版）より長い引用「戦争は国家を守るが国民を守らない」宇宙物理学者の視点から「『月刊住職』という仏教寺院向けの専門誌がある（興山舎発行）。創刊五十年の堂々たる専門誌だ。目次を一瞥（いちべつ）すると、現代の仏教界が直面する問題は、これほど多様で複雑なものかと痛感させられる。高雅な表紙といい、多彩な内容といい、宗教ジャーナリズムの雄というべき雑誌だろう。以前、私がインタビューを受けたときの記事が載っている数年前の号がでてきたので、読むともなしに眺めていたら、ロシアのウクライナ侵攻に関する文章が目についた。読者との問答形式の「色即是空の科学事始め」という連載記事である。筆者は宇宙物理学者の池内了氏。連載百九十四回（２０２２年7月号）とあるから相当の長期連載だ。＜ウクライナ侵攻をめぐる問答集（その１）＞として第９条で平和は守れるのか」という見出しがついている。仏教、寺院界の専門誌が、ウクライナ問題をとりあげるというのは、かなり大胆な試みではないだろうか。まだ開戦まもない時期の記事だけに、情報も限られているが、今回のウクライナ問題を見る視点はずれていない。なかでも冒頭にかかげたフレーズは、、当たり前のことを堂々と宣言していて深く実感できる一文だ。＜戦争は国家を守るが国民を守らない＞パレスチナ対イスラエルの戦いにもその事を痛感する。」この本の発行は、印刷２０２５年3月２０日発行２０２５年４月５日とある。今、このブログを書いているのが、２０２５年9月15日（月）だから、ほぼ5ヶ月経っているが、この「戦争は国家を守るが国民を守らない」という言葉は、普遍的な真実であるように思われる。なにより、現実がそのことを示している。これは心に留めておきたい言葉だ。いつの時代もそうだったのかもしれない。戦争について、少し考えてみた。
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<link>https://kawajikyoushitu.com/blog/detail/20250915214444/</link>
<pubDate>Mon, 15 Sep 2025 22:57:00 +0900</pubDate>
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<title>今週の一言　第三十回三回　作家　山口瞳をとりあげる</title>
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今週の一言は、作家の故山口瞳をとりあげる。かつて山口瞳は言った、「一将功なりて、万骨枯る。」その万骨の思いを書きたかった、と。少し詳しく言うと、一人の大将が功をなすときには、それ以外の万骨、すなわち部下のほとんどが死ぬ。万骨、すなわち部下である一般大衆が犠牲となって一人の大将の功績がある。その万骨の思いを書きたかった、と。山口瞳は言っていた。その言葉に私は、激しく共鳴した。それはまだ太平洋戦争が終わって間もない時代だった。ネットで調べると、1926年（大正15年）1月19日（戸籍上は11月3日）ー1995年（平成７年）8月30日）となっている。日本の男性作家、エッセイスト。とある。まさに戦前、戦中、戦後を生きた作家だった。でも令和７年8月５日現在でも、この山口瞳が持っていた思いは十分に通用すると私は思う。その社会や組織の構造が変わっていないのだから。さらに、ネットで調べるとこうある。東京府生。旧制第一早稲田高等学院（現・早稲田大学高等学院）中退。寿屋（現サントリー）でPR誌『洋酒天国』の編集に当たる。『江分利満氏の優雅な生活』で昭和37年度直木賞を受賞。死去まで『週刊新潮』に連載したコラム『男性自身』は記録的長寿となった。『血族』で菊池寛賞。『居酒屋兆治』『湖沼学入門』などがある。とある。熱心に読んだのがもう随分前なので、ほとんど覚えていないが、この「一将功なりて万骨枯る」その万骨の思いを書きたかった、という一節だけは今でも忘れない。この作家からは大切なことを学んだと思っている。もしかしたら、そういう大切な言葉の数々が、私の心の支えのひとつになっているのかもしれない。
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<link>https://kawajikyoushitu.com/blog/detail/20250805214031/</link>
<pubDate>Tue, 05 Aug 2025 22:56:00 +0900</pubDate>
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<title>２０２５年　4月12日　城平公園の桜</title>
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<link>https://kawajikyoushitu.com/blog/detail/20250625001701/</link>
<pubDate>Wed, 25 Jun 2025 00:30:00 +0900</pubDate>
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<title>今週の一言　第三十二回　テーマは前回に引き続き人類学生きづらさの「そもそも」を問うこのテーマでは最終回　　　　　　　　　</title>
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『ひっくり返す人類学』生きづらさの「そもそも」を問う奥野克巳著ちくまプリマー新書より引用「２『ひっくり返す人類学』とは何か？」本書１５ページ「こうしたフィールドワークの果てに、私自身が最近になって新しく始めた試みがあります。それは、単独でフィールドワークをするのではなく、異なる業種や専門を持つ人たちとともにフィールドワークに行くというものです。人類学のフィールドワークは一般的には個人で行われるものですから、研究者ではない業種の人たちと複数人で行くという例はあまり多くありません。しかしこの試みが少しずつ面白い結果を示してきているように感じています。２０２４年1月から、仲間たちと「聞き流す、人類学」と題するYouTube番組を始めました。そのチームのメンバーである加藤志異（かとうしい）さんと喜屋武悠生（きやんゆうき）さんと、私が講師を務めた市民講座に参加したことのある山田彩加（やまだあやか）さんとともに、２０２４年3月に半月ほど、ブナンのフィールドワークに出かけました。加藤さんは妖怪絵本作家で、りんごの行商などもやっている40代後半の男性です。喜屋武さんは、三線（さんしん）の流しやバーの不定期店長などをやっている30代後半のマルチタレントです。山田さんは理学療法士の資格を持ちながら、２０２２年秋から石川県で地域おこし協力隊員として働いている30代前半の女性です。この３人に共通しているのは、現代日本社会の中で定職を得て、すんなりと社会に適応して暮らしているわけではないという点です。そうしないことを意図的に選択したり、もしくは何らかの理由でそれができにくかったりする中で、いろんなことにぶち当たりながらも挑戦を繰り返して生きています。彼らは、生きづらい、生きにくいと感じられる現代日本の現実に疑問を持ち、のびのびとした人間の姿を求めてボルネオの森の狩猟採集民の世界に行ってみようと思ったようでした。」中略「さて、加藤さん、喜屋武さん、山田さんというブナンに行った３人がフィールドのど真ん中で語る言葉からいったいどんなことが言えるのでしょうか？私が思うに、彼らは、ブナンの暮らしぶりを見て気づいたことを、彼らの日本での日常生活に関連づけながら考えて語ってくれたように思えます。そしてこれが、参与観察における重要な思考なのです。フィールドワークに行って考えるのは、目の前にいる人々と自分たちの日頃の振る舞いの違いです。ただぼんやりとフィールドワークの人々を観察するのではなく、自分と比較しながら、自分たちのやり方や考え方を問い直してみることが彼らのやったことだったと言えるでしょう。ブナンと暮らしてみて３人はそれぞれ、自分たちの日本での元々の暮らし方や生き方を見つめ直し始めました。言い換えれば、なじみの薄い土地で経験や直感を頼りにしながら、彼らは、日々暮らしている中で身にしみついてしまった自らの「当たり前」をひっくり返そうとしたのです。そう、「当たり前」すぎて気づかなかった日常を「ひっくり返す」ことこそが、フィールドワークの大きな効用なのです。本書『ひっくり返す人類学』のタイトルは、そこから来ています。私たちのやり方や考え方をひっくり返してみるのです。これは、物事の根源に立ち戻って存在意義や必要性などを問う一種の「そもそも論」ですが、それを具体的な民族誌の事例の中から考えていくという点は、人類学独自の思考方法と言えるでしょう。人類学者がこれまでやって考えてきたことも、今回3人がブナンを訪ねてやったこともほとんど変わりません。人類学は、「ゼロ地点」にまで立ち戻って、事柄の本質を問うレベルに達することを目指して研究してきたのです。」以上で引用は終わるが、ひっくり返す人類学という言葉の意味を理解していただけたでしょうか。この本にはまだ、「学校や教育とはそもそも何なのか」「貧富の格差や権力とはそもそも何なのか」「心の病や死とはそもそも何なのか」「自然や人間とはそもそも何なのか」など興味深い内容が数多く書いてあります。興味のある方は一読をお薦めします。この本で人類学のことをほんの少し知り、大変勉強になりました。次回今週の一言は、また別のテーマを考えてみたいと思います。
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<link>https://kawajikyoushitu.com/blog/detail/20250606234040/</link>
<pubDate>Fri, 06 Jun 2025 23:53:00 +0900</pubDate>
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<title>２０２５年5月29日（木）自宅の玄関先の庭に薔薇が咲きました</title>
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<link>https://kawajikyoushitu.com/blog/detail/20250529204233/</link>
<pubDate>Thu, 29 May 2025 21:04:00 +0900</pubDate>
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<title>今週の一言　第三十一回　テーマは前回に引き続き人類学生きづらさの「そもそも」を問う</title>
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『ひっくり返す人類学』生きづらさの「そもそも」を問う奥野克巳著ちくまプリマー新書より引用「ブナンとは、ボルネオ島に住む狩猟採集民および狩猟採集民に与えられた民族の総称です。今もなお狩猟採集だけに頼って暮らしている人たちがいるということに、私は大いに興味をそそられたのでした。農耕以前の段階の。人類の古い生業である狩猟採集を参与観察して、人々の暮らしを見てみたいと思うようになったのです。そこに、人間の原初の暮らしがあるのではないかと想像したのです。その後、２０００年代の半ばに、当時勤めていた大学から研究休暇をもらって、1年間にわたってブナンのフィールドワークを実施することにしました。くわしいことはのちのちお話ししていきますが、その後も２０２４年の春に至るまで、コロナ禍の２年半の中断を挟んで、年２回ずつ、2週間から一ヶ月ほどのフィールドワークを繰り返してきています。２０２４年で、フィールドワークを始めてから１９年目になります。フィールドワークでは、狩猟について行って森の中を歩き回り、夜中には地べたに寝たりもしました。時には道に迷ったこともあります。ブナンのハンターたちがヒゲイノシシやシカやサルなどの獲物を捕まえて、狩猟キャンプにそれらを持ち帰り、共同体の中で肉を分配するまでの詳細を記述し、分析しました。狩猟に出かけていないあいだにも、神話や民話、人々の日常の語りに耳を傾けて、狩猟採集民ブナンの考えややり方を探ったのです。でも最近ではフィールドワークに行ってもほとんどノートは取りません。小屋で寝っ転がって人々の話を聞いているほうが、一生懸命にノートや録音をとるよりも、ブナンの考えていることや、やっていることがよく理解できるように思えるからです。フィールドワークの手法も、長くやっていると変わっていくものなのです。」ここからが主題である『ひっくり返す人類学』とは何か？に話しが展開されていく。次回今週の一言第三十二回へと続く。引用はまだまだ終わらない。
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<link>https://kawajikyoushitu.com/blog/detail/20250520014834/</link>
<pubDate>Tue, 20 May 2025 01:54:00 +0900</pubDate>
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<title>今週の一言　第三十回　テーマは前回に引き続き人類学</title>
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『ひっくり返す人類学』生きづらさの「そもそも」を問う奥野克巳著ちくまプリマー新書より引用前回の今週の一言第二十九回で『ひっくり返す人類学』の題名のもとになった「ひっくり返す」とはどういう意味なのかを本書より引用し、紹介したい。そもそも人類学とはどのように始まったのか。「国家間の戦争というのはいつの時代にもあります。今から１００年以上前にもヨーロッパで大規模な戦争がありました。１９１４年から１９１８年にかけては、ドイツ、オーストリア、オスマン帝国などと、イギリス、フランス、ロシアなどのあいだで、第一次世界大戦が勃発し、８５０万人のヨーロッパ人の命が奪われたとされます。フランスの詩人ポール・ヴァレリーが評論「精神の危機」の中で、ヨーロッパは戦争を止めることができなかったし、ヨーロッパ人が築き上げてきた知は無力であると唱えたのもこの時代です。世界の中心のようにふるまい、様々な富や知識を蓄えてきたヨーロッパ諸国でしたが、大規模な戦争によって人々は精神的・物質的な危機に陥り、生きづらさを感じ始めたのです。そしてちょうどその頃、ヨーロッパ内部に閉じているだけでは不十分であると考え、ヨーロッパ以外の世界に赴いて、そこで暮らしながら人間の生き方を探ろうとしたのが、本書が基盤とする人類学でした。人類学という学問は、戦争という負の歴史とともに発展してきました。」このあと、なぜ「ひっくり返す」人類学なのかが次第に分かってくる。それはまた次回に続く。
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<link>https://kawajikyoushitu.com/blog/detail/20250511211017/</link>
<pubDate>Sun, 11 May 2025 21:16:00 +0900</pubDate>
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<title>今週の一言　第二十九回　テーマは人類学</title>
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『ひっくり返す人類学』生きづらさの「そもそも」を問う奥野克巳著ちくまプリマー新書より引用。「次に紹介するのは、アフリカのボツワナ北部のクン・サン（ブッシュマン）の調査において、カナダの人類学者リチャード・リーが経験したある出来事です。彼は、一年以上にわたって実施したフィールドワークのお礼として、牛を一頭屠畜(とちく)してクリスマス・プレゼントにしようと考えました。しかし驚いたことに、クン・サンの人たちはリーの前でその大きな牛を見て、老いぼれだのせっぽっちだと口々に悪口を言ったのでした。そのことにリーはショックを受けます。ところが、宴会当日になってみると、牛は肉づきがよくてやわらかく、料理は人々にとってとても満足のいくものだったようなのでした。リーは、彼らの牛に対する悪口は、大きな牛を贈ったリー自身の尊大な気持ちに対するものだったのではないかと言います。いったいどういうことでしょうか？リーは、クン・サンの人たちのいつもの狩猟行動を振り返っています。クン・サンの狩猟者は、弓矢猟に出かけ毒矢を命中させると、いったんキャンプに戻ります。その後、仲間とともに獲物追跡と運搬のためにふたたび出かけるのです。出かけた先で獲物をうまく仕留めると、仲間たちは、「自分たちをこんな骨ばかりのものを運ばせるために連れ出したのか」と獲物に対して悪口を言い始めます。しかし、そうした悪口はその場だけのことで、キャンプに運び込まれた獲物はみなで満足して賞味されるのです。それでは、獲物に対する悪口とは、いったい何のためだったのでしょうか？それは、狩猟者が、自分が獲った獲物の大きさに天狗になって他の人たちに自慢したり、威張ったりすることを牽制(けんせい)するためだったと、リーは解釈しています。ちくまプリマー新書の『悪口ってなんだろう』の著者である和泉悠によれば、クン・サンは悪口を言うことによって、誰かが調子に乗るのを防ぎ、大物、すなわち権力者が生まれるのをあらかじめ防ごうとするのです。そうした振る舞いは、平等主義的な狩猟採集民の社会において幅広く観察されています。悪口は、権力者が生まれるのをあらかじめ防ぐために用いられていたのです。でも、そのようにクン・サン自身が言ったのではありません。それは、あくまでも人類学者リーの推察です。しかし本人たちが述べていなかったにせよ、それを権力を発生させたり権力を特定の誰かに持たせたりすることがないように、無意識のうちに、集団的に工夫されたひとつのやり方なのかもしれないと考えるのは妥当なことでしょう。ここでも、人類による工夫、特に権力を否定して、誰もが平等に暮らしていくための工夫が狩猟採集民社会においてなされてきた片鱗を見ることができます。人類はこれまで、権力が集中したり、権力の発生を未然に防いだりするやり方をすでに自前で持っていたのです。そして、地球上にはいまだに、それらのことをいとも簡単にやってのける人たちがいるのです。逆に言えば、権力から逃れることのできない私たち現代人は、人類として、とてつもなく遠いところに来てしまっているのかもしれません。振り返れば、格差を「そもそも作らない」世界を目指した上で、権力が集中しないような工夫をすることが、現代世界において根本的な解決の見通しが立てられない経済格差と権力の問題を解きほぐすためのひとつの大きな糸口になりうるのではないでしょうか？」この『ひっくり返す人類学』は面白い。そもそもこの題名がついた理由とかを紹介したいので、この本からの引用はまだまだ続く。次回今週の一言第三十回へ。
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<link>https://kawajikyoushitu.com/blog/detail/20250501231444/</link>
<pubDate>Thu, 01 May 2025 23:34:00 +0900</pubDate>
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<title>今週の一言　第二十八回　ネルソン・マンデラをとりあげる</title>
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今週の一言第二十八回ネルソン・マンデラをとりあげる今回は、南アフリカ元大統領ネルソン・マンデラについて書く。南アフリカは、アパルトヘイト（アフリカーンス語）「分離・隔離」を意味する言葉で、少数の白人が多数の黒人を差別する政策をとった。ネルソン・マンデラは白人のアパルトヘイトと闘い、武装闘争をやったため刑務所に入れられ、ほぼ３０年間刑務所に収監されていた。しかし、世界の世論が黒人差別はまずいという意見が強くなり、ついにネルソン・マンデラは刑務所を出る。そして、黒人初の南アフリカ大統領になる。しかし、マンデラは白人に復讐しなかった。刑務所を出て大統領になり、白人と黒人の混合のラグビーチームを作った。今でもラグビーの南アフリカ代表は世界のラグビーの中でも屈指の強豪チームである。そのネルソン・マンデラは言っている「人は憎しみを習得する。憎むことを身に付けられるならば愛することを学ぶこともできる。愛は憎しみに比べ、人の心に自然に生まれるものだから。」（追記）２０１５年（平成２７年）ラグビーワールドカップ（W杯）イングランド大会の１次リーグで日本は優勝候補の一角である南アフリカと対戦、終了間際に逆転トライを決め、３４－３２で逆転勝ち、W杯優勝２度の強豪に歴史的勝利は「世紀の番狂わせ」とまで言われた。
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<link>https://kawajikyoushitu.com/blog/detail/20250301221916/</link>
<pubDate>Sat, 01 Mar 2025 22:27:00 +0900</pubDate>
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